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光而不燿 (光ありてかがやかさず)

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「ここをもって聖人は、

  方にしてしかも割(かっ)せず、

  廉にしてしかも劌(けい)せず、

  直にしてしかも肆(し)ならず、

  光ありて燿(かがや)かさず。」

「おおらかな政治が善し」とする老子58章の最後の部分です。

色々な訳がこの章にはあるようですが、私が好むのは高橋進氏のもの

「聖人は、

 さだめ(方)をもってはいるが、それによって物事をふるい分け、一方の善・正のみを取って他方の邪・悪を捨て去らない。

 いさぎよさはあるが、それによって傷つけない、

 まっすぐではあるが決めつけたりせず(押しとおしたりせず)、

 光り輝いてものの鏡となるが、すみずみまであばきださない。」 

 

私がこの度思うのは、最後の文章、「隅々まであばきださない」という部分です。(光而不燿)

昨今、「研究発表のねつ造を疑うマスコミが、当人を追い詰める」という報道がテレビを通して伝わってきます。

私欲の為に偽る行動は許し難いものではありますが、人前に晒し大勢で追い詰めるような行為は、いじめに近いものを感じてしまいます。

本人の経歴、学校や同級生のコメント、はたまた自宅や生活ぶりまでも。そこまでしなくても良いのでは、と思うのは私だけでしょうか。子供には見せたくありません。

「天網恢恢、疏にして失わず(漏らさず)」これも老子のことばです。

  ―追記―

  「光而不燿」は、和光同塵と同じような「知識があってもひけらかさない」という訳もあります)


タグ:老子58
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